アロハシャツのルーツは日本?

アロハシャツのルーツ

夏ファッションの代名詞ともいえる「アロハシャツ」。

「アロハシャツ=ハワイ」というイメージを持っていると思いますが、実はアロハシャツと日本、そして日本人には大きな関係があります。

今回は、そのルーツを少しひも解き、あまり知られていないストーリーをご紹介いたします。

ハワイへ移住した日本人と「パラカシャツ」の出会い

アロハシャツのルーツは和柄

日本では19世紀の終わり頃から、ハワイのサトウキビ畑で働く「官公移民」の大募集が行われ、多くの人々が南の楽園を夢見て海を渡りました。

このころ、ヨーロッパからハワイに「パラカ」と呼ばれる綿製の衿付きシャツが持ち込まれ、農園労働者の作業着として流行。

パラカシャツが日本人の間でも親しまれるようになると、着古した着物や浴衣などをパラカ風のシャツに作り直し、子供に着せたり労働着にするという流れが生まれました。

つまり、この浴衣のリメイクこそが、アロハシャツのルーツなんです。

日本人が開業した洋装店「ムサシヤ」

時を経ると、移民の中でオーダーメイドシャツ屋を営む人が現れました。
そのお店の名は「ムサシヤ」。

着物の生地を使った和柄や花柄のパラカシャツが日本人の間で愛用されるようになると、現地大学生などにも人気が出始めます。

さらには、ハリウッドスターがハワイを訪れた際、店頭に吊るしてあった着物を指さし、「これでシャツを作ってくれ」と注文をするなど、ハワイでその地位を高めていきます。

ムサシヤが新聞広告で「アロハシャツ」を謳い大人気に

ここで登場するのが、中国系アメリカ人のエラリー・チャン。

彼はホノルルで服や生地を扱う雑貨店を営んでいましたが、旅行客の土産に派手なシャツを売ることを思い付きます。

そして、1934年、ムサシヤに花柄のシャツを作らせ「アロハシャツ」という名を付けて売り出したのです。(のちにエラリー・チャンが「アロハシャツ」を商標登録します)

この翌年の1935年、「ムサシヤ」は、初めて新聞広告に「アロハシャツ」という単語を使い、これをきっかけに一気に広まることとなります。

和柄アロハをハリウッドスターがお土産に。一気にハワイ名物へ

この広告が出されたときと同じころ、アメリカ本土とハワイを結ぶ飛行機が就航したため、ハワイ土産として「アロハシャツ」が大人気に。
ハリウッドスターたちもこぞって和柄のアロハシャツを着用したことで、アロハシャツがハワイ名物へと進化したのです。

まだまだ語りつくせないことがたくさんありますが、日本人が、そして日本の伝統でもある和服“浴衣”がアロハシャツのルーツなんて驚きですよね。

この夏、アロハシャツを着る際は、そんなストーリーにも想いを馳せてみてもいいですね。

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