高菜でマスタードを作る31歳女性の深い愛情。「阿蘇さとう農園」が熊本で広げる地域経済圏

就農して5年目の佐藤智香さん。前職は自動車メーカーのデザイン部でクレイモデラーとして勤務していました

「余計なことをせんでよか」「高菜は漬物にするのがいちばんだよ」

阿蘇高菜を使ってマスタードを作ろうとしたとき、反対の声も少なからずあったそうです。佐藤さんは当時25歳。

もしそこで心が折れていれば、4年後の2016年に「熊本県農産加工品コンクール金賞」と「ふるさと中央コンクール農林水産大臣賞」を受賞することも、今年に入ってから「熊本県青年農業者クラブ連絡協議会会長」に就任することも起こりえませんでした。たった1人の女性が起こしたアクションは、下火になりつつあった伝統野菜の新しい可能性を切り拓き、その影響はほかの分野にも波及しています。

阿蘇高菜の旬は、1年で3日


原料は阿蘇高菜と米酢と塩のみ。販路は年々広がっており、熊本空港や鶴屋百貨店でも販売されています(写真:阿蘇さとう農園提供)

佐藤さんが阿蘇にUターンしたのは2012年。高校卒業後は大阪で働いていましたが、祖父母の代から続く農業を継ぎたいという思いはずっと抱えていたそうです。九州北部豪雨災害で阿蘇が被災したことを機に、大好きな阿蘇で仕事をするために大阪を離れ、農地を受け継いで阿蘇高菜の栽培を始めました。

阿蘇高菜は熊本の伝統野菜で、葉っぱを含めたすべてを活用できる高菜と違い、新芽の柔らかい真ん中の芯においしさが詰まっています。花が咲くと芯が筋張ってしまうため、旬は1年で約3日しかありません。3月下旬になると畑の様子をうかがい、新芽がグッと伸びた一瞬を見極めて、1本1本を手で折りながら芯だけを収穫します。

独特の歯ごたえと辛味は阿蘇高菜にしかない特徴ですが、収穫に手間暇がかかるため、耕地面積はどうしても限られてしまいます。

阿蘇高菜の用途は漬物ですが、昔のように漬物が当たり前に食卓に並ぶことが少なくなり、かといって単価を上げることもできず、事業の採算を取るのが難しい状況にありました。

ある日佐藤さんは、マスタードの製造を特集していたテレビ番組を偶然目にします。マスタードの原料がカラシナの種であることを知ったとき、阿蘇高菜の種も原料にできるのではと、ふとひらめきました。

高菜はカラシナの一種とされており、マスタードに入っている“イソチオシアン酸アリル”という辛みの成分も含んでいます。

マスタードが最も求められる場所

阿蘇野菜の用途を広げるうえで、マスタードは打開策にならないだろうか。

そう考えた佐藤さんは小売店に企画を持ち込みましたが、「今の家庭はマスタードをあまり使わないよ」「伝統野菜は従来の製法がいちばんじゃないかな」というようにリアクションは芳しくありません。商品を作ったとしても、売り先がなければ在庫を抱えるだけになります。行く手を失った佐藤さんの頭に起死回生の策として思い浮かんだのは、マスタードの存在が最も求められる場所でした。

「私がマスタードを使いたくなるのはいつだろうと考えたとき、ソーセージが脳裏をよぎったんです。ソーセージの横に置いてあれば、セットで買ってもらえるかもしれない。そう思って地元のソーセージ屋さん『ひばり工房』にアタックしたところ、オーナーさんは私のチャレンジを応援してくれて、瓶やラベルの準備などもサポートしてもらうことになりました。

第一弾として作った900個の商品が、4カ月で完売したときは驚きましたね。そこから風向きは一気に変わりました。身内からは相変わらず心配の声もありましたが、事業コンテストではグランプリをいただいて新聞で取り上げてもらったり、関係者の人たちが家に出入りしたりしているうちに、少しずつ私の背中を押してくれるようになりました」(佐藤さん)

量産体制への移行は難航した

幸先の良いスタートを切ったものの、量産体制への移行に向けた構想が進みません。

商品を量産するためには種の母数が必要ですが、阿蘇高菜は自家採種での循環によって作られ続けてきました。その年に生産した作物からでしか種を採取できないため、種の数を急には増やせないのです。

それに加えて、莢(さや)が乾燥した状態で種を刈り取るため、収穫の際に種がポロポロ落ちてしまいます。種が完熟するのは梅雨前なので、収穫が天候に左右されることも量産体制への移行を妨げました。

そこで佐藤さんが考えたのが、花が乾燥する前に収穫することです。

莢が青い状態のときに刈り取れば、 取りこぼしなく効率的に種を収穫できます。収穫方法に関しても、1人の手作業では労働力的に10a(1000 平方メートル)が限界でしたが、農業機械での収穫を試した結果、種を傷つけることなく、4~5倍の面積をカバーできることがわかりました。

種が完熟していないため、味が変わってしまうというリスクについては、『産業技術センター』に分析を依頼したところ、未熟な種と完熟の種の数値が変わらないことが判明しました。

むしろ、マスタードにしたときには、未熟な種のほうがよりフレッシュでおいしくなるという“おまけ”までついてきたのです。

捨てられていた種を買い取る

種集めの手法としてもう1つ、佐藤さんはほかの農家からの買い取りを始めました。阿蘇高菜を栽培している農家の多くは、自家採種後に種を余らせたり、漬物の収穫期を逃して種を持て余したりすることは少なくありませんでした。

これまで捨てていた種がお金になるのは農家にとっては思わぬ副収入であり、70kgの種を14万円で買い取った事例もあるそうです。こうして種を集めることで製造量は年々増えていき、販売開始から4年経った今年の販売数は、初年度の20倍近い1万7000個を見込んでいます。

耕作放棄地を一面の花畑に


佐藤さん(左)は観光・商業と連携を図りながら、地域資源を活かした阿蘇らしい農業のかたちを目指しています(写真:ファクトリエ 提供)

雄大な自然が広がる阿蘇にはたくさんの畑がありますが、このままでは耕作放棄地が増えていくと予想されています。なぜなら、ビニールハウスを建てられる田んぼと違って、畑は冬場になると厳しい寒さにさらされるからです。

年間を通して安定的に作物を作ることができないという大きな課題に対して、佐藤さんは「阿蘇高菜こそが耕作放棄地のない地域づくりにつながる」と言います。

「阿蘇高菜は阿蘇でしか作れません。カルデラがあり、四季を通じて冷涼で多雨な気候と風土は、阿蘇高菜の生育環境にピッタリなんです。草取りをする必要もないので、種をまいてさえおけば栽培できます。

辛味が苦手なのか、イノシシも近寄ってこないんですよ。だから畑を荒らされる心配もありません。空いている畑で阿蘇高菜を栽培することは耕作放棄地の増加を防ぎ、そしてそれは伝統野菜の減少を食い止めることにもつながります」(佐藤さん)

耕作面積が拡大していくなか、阿蘇タカナードの生産量の増加に付随して、さまざまな出来事が立て続けに起こっています。開花シーズンのゴールデンウィークになると、栽培エリアには黄色のお花畑が広がるようになり、その光景を写真に収めることを目的に多くの観光客が阿蘇を訪れるようになりました。

さらに、畑を隙間なく敷き詰める花々は蜂蜜を生み出し、高菜の種もオイルとしての新しい用途が見つかるなど、阿蘇高菜に関連した商品が次々と生まれています。

阿蘇タカナードが与えている影響は、阿蘇高菜だけではありません。マスタードを作る際、一般的にはワインビネガーを使いますが、米どころという阿蘇の特性を活かし、阿蘇タカナードでは地元の米酢を使用しています。

オール熊本を体現するために、塩は熊本県の天草産。阿蘇タカナードが巻き込む経済圏は、高菜というカテゴリーを超えてどんどん広がりを見せています。たった1人の女性のUターンから起こったセンセーションは、まだ始まったばかり。

佐藤さんの阿蘇に対する深い愛情は、これからも地域資源のポテンシャルを引き出し続けるでしょう。

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