【アパレル工場探訪Vol.24】世界唯一の機械でつくる、偶然と執念が生んだ生地

ファクトリエが提携するアパレル工場の方々に、ものづくりにかける想いやこれまでのストーリーや想いをお伺い紹介するコーナー「Factory」では、様々な日本のものづくりの現場をお伝えしています。

今回は、和歌山県和歌山市にある「丸和ニット」をご紹介します。

綿からアクリルへ。
先代たちの大きなチャレンジ

丸和ニットは1934年(昭和9年)、古くから綿の産地であった和歌山にはじまり80年になります。当時は吊り編み機やソックスの編み機を使った、綿主体のニット生地やアイテムを製造していたそう。

代替わりをきっかけに、東レや旭化成など当時からアクリル紡績の開発に力を入れていた企業と協力し、素材開発、製品開発を開始し、綿からアクリルへと製品の素材をシフトチェンジしました。

丸和ニットの代表である辻さんは、当時のことをこう振り返ります。


「周りの工場からは「なぜアクリルなんかを使用するのか」と言われていたが、他社が使用していないからこそ差別化になると考え、まだ珍しかったアクリルを主軸としたことは先代たちの大きなチャレンジだったと思います。」

「アクリルといえば丸和ニット」
類を見ないテキスタイル

最盛期は生産する生地全体の40%はアクリルが占めており、「アクリルといえば丸和ニット」と呼ばれるほどでした。

工場内の機械も全てアクリル製品を扱う仕様に自社で改造したそう。糸は新開発をしても比較的に研究分析がしやすいですが、そこにオリジナルで改造した編み機が合わさることで絶対にまねすることのできないテキスタイルを生み出しています。

現在の最新機器は改造ができないように精密に作りこまれています。そのため、昔ながらの機械に改良を加えながら代々と受け継いできたことも丸和ニットの強みです。

海外生産の波による業界の大打撃
低価格競争の時代

バブルの崩壊後、3つあった工場を1つに縮小し、社員を1拠点に集中させた体制をとりました。その後、2000年に入り海外生産の波が訪れたことで国内のアクリル生産も低価格競争に巻き込まれ、ほぼすべての生産が国外へと移行したそう。

合繊の紡績工場が急激に数を減らし、それに関わる染めや加工、縫製の工場も影響を受け、製品の40%がアクリルだった丸和ニットも大きな打撃を受けることとなりました。

偶然と執念が生んだ生地
「バランサーキュラー」

丸和ニットでは、一昔前まで量販店向けに商品を作っていましたが、ファストファッションの台頭により業績が下降線に。そのような状況を変革する一番の転機になったのは、世界で唯一丸和ニットだけが持っている「バランサーキュラー」でした。
辻さんはバランサーキュラーの誕生秘話についてこう語っています。

「弊社は代々「他にまねの出来ないもの作り」をとても大切にしてきました。繊維産業に逆風が吹く中、そんな想いで生み出したのが「バランサーキュラー」という生地です。
ヨーロッパ製の今まで見たことのないような編み機が、2台だけ中古で売りに出されているのを発見し、早速購入をしました。買ったはいいものの説明書がついているわけでもないので操作方法すらわからない。上糸と下糸をスムーズに送り出すよう調整するだけでも5年かかりました。ベテランの職人や得意先の技術者の方などにも相談に乗ってもらい、数え切れないくらいの調整を繰り返し、10年の歳月をかけようやく完成したこの生地は現在弊社の主軸の1つとなっています。」

こだわりをお客様に丁寧に伝える
目指すのは「丸和ブランド」の確立

今の課題は素材のこだわりを直接的にお客様に伝えることができないということだという。丸和ニットでは、製品としてセレクトショップに売り込みをしたり、実際にその製品の良さをお客様へ伝える方法は何度も考えてきましたがなかなか叶えることができませんでした。

そのような中でのファクトリエとの出会いは、そんな課題を解決に近づけるものだったと言います。

「現在はファクトリエという、工場の想いを直接伝えてくれるパートナーに出会うこともできましたし、製品の良さをより伝えやすくなりお客様に認知してもらいやすくなりました。将来的には、丸和ニットを素材や製品として卸すだけでなく、“丸和ブランド”として成長させていきたいと日々考えています。」


いかがでしたか。

バランサーキュラーは、「これまでにないニットをつくりたい」というひたむきな想いから生まれました。そんな丸和ニットの製品は着心地が良さから「何時間でも着ていたい」と感じさせられます。

ぜひ、皆さんも世界唯一の生地「バランサーキュラー」を体感してみてください!

それでは、次回もお楽しみに。

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