東京都、渋谷区、幡ヶ谷。朝から地元の方でにぎわう駅前の商店街。そこから一本中に入ったところに、静かなたたずまいの「仲屋商店」はあります。
初代が傘屋を始めて創業88年。開業当初は、和傘の製造のみをしていました。その後、洋傘の製造と卸売りの問屋業を行うように。
しかし時代の変化にともない、現在は卸売りを続けてはいるものの、傘の修理を行う小売店としても力を入れていったのだそうです。
「『傘の修理』って検索するとあんまりヒットするところがないみたいで。それでうちをたまたま見つけた人から問い合わせがありますんで、全国各地、メールなり電話なりで対応しています」
そう話してくれたのは、三代目店主の仲憲一さん。
「本当はお客さんに直接会って、その場で傘を見ながら修理の話がしたいんだけどね。傘にも人にも、個性があるから」
傘の業界は、気候に左右されやすい天候商売。それに加え、時代の変遷とともに大きな影響を受けてきました。
「今から3、40年くらい前までは、部品も国内調達、加工も国内で行い販売してたんです。その時代は、傘の全盛だったかなぁ。当時、傘は傘屋で買うのが普通だったんで、町の傘屋さんも雨が降ればよく売れて」
「ところが、その後くらいだったかなぁ。コスト面から、傘を海外でつくって安くしていく時代になってきて」
そのころお店を切り盛りしていたのは、二代目である仲さんのお父さま。傘の製造業者の多くは、生産拠点を中国に移していきました。卸先も、傘屋から百貨店や量販店へと変えなければお店も潰れかねない、そんな時代だったそうです。
「けれどうちの親父さんは、それを選ばなかった。というかしなかったんで」
ほどなくして「仲屋商店」も傘の製造を続けることは困難に。追い打ちをかけるようにして、卸先であった町の傘屋さんも次々になくなっていきました。
「うちの親父さん、傘屋をたたもうと思ってたんです。本人が言うには傘屋はもうだめだって」
仲さんが実家の家業を手伝いはじめたのは、大学を出て広告関係の仕事に就き、ちょうど10年が過ぎたころ。
「傘屋を廃業するから、それをちょっと手伝ってくれみたいな感じで。在庫がすごいあったから、その整理から始めたんですよね」
店を継ぐのではなく、店を閉じる。それが、お父さまから仲さんが任された、最初の仕事でした。
高齢になった社員さんに代わって配達をしたり、経理の見直しまで、仲さん一人で様々なことをこなす毎日。
しかし、お店の手伝いを始めるようになり、あることに気が付きます。
「大きく宣伝はしていなかったんですけど、修理をしにくるお客さんがちらほらいて。近所のおばちゃんが、『ちょっとこれ直しておじさん』とか言って、それで直したらすごい喜ばれて。こういうのも良いなと思ったんですね」
「だったらこっちに力を入れたらどうかなって。小売と修理を含めた小売店ってことですよね。売っておしまいではなくて、きちんと最後まで面倒をみたい、アフターサービスをしたい。そんな町の傘屋さんを新しくつくっていこうってなったんです」
傘の製造も、卸も、販売も、客観的に見てきた仲さんだからこそ見出せた活路。想像以上に修理のニーズは大きかったそうです。使い捨ての時代と言われるなか、使っていた物を大事にしたり、再び使いたいという人が増えていました。
「私より修理に詳しい者が、あっちにいますから」
ピリッとした空気が漂う、すぐ隣の修理スペース。部屋に進むと、修理中の傘を示す、黄色い札のついた傘たちが並んでいました。そこで修理を行っていたのは、職人の神保さんです。
以前から額縁を扱うお仕事をしながら、傘の修理もしているんだとか。
「ほんと繊細なんだなぁって」
視線の先には修理をする傘。
「傘を閉じるこの位置とか、1、2ミリ違うだけで機能しなくなったりするんだよね。当たり前のような感じはするんだけど、そこまでの傘を作るのには色んな知恵が入ってて。そんな知恵や工夫を知ることが好きなんですよね」
あらゆるブランドが傘を販売するようになった今、修理用のパーツがないこともしばしば。そんな時はご自身で部品から作っていきます。
神保さんもまた、仲さんと似たような感覚を抱いていました。
「ビニール傘で済ませることが増えてきたけど、そこと大事な傘っていうのは分けてる感じがする。ちょっとだけお金をかけて、良いものを持ちたいって人も多いのかもしれませんね」
「あとはやっぱり、お客様が喜んでくれると嬉しかった。壊れていた傘が開いて、うわっていうあの感じは。ほかの業者さんに頼んだけど断られたものとかを持ってきてくれると、これは何とかしたいなって。」
大量生産・大量消費の時代。だからこそ”大切な一本”に対するこだわりは、作り手にとっても使い手にとっても強くなっています。
「傘は10年使ってくださいって言うんです」
今までにいろいろな傘を見てきた仲さん。
「愛着が湧いてくるからね。やっぱこう馴染んでくる。木の持ち手とかだと、手の温もりみたいなのがあって。それを何だろう、家族の人がそれを感じてね。おじいさんが使っていた傘の持ち手だけを残して、また傘にしてくれとか、そういうこともあります」
最後にあまり表情を崩さない仲さんが、クスッと笑って、けれど今日一番しっかりした声で、こう話してくれました。
「お金には変えられない価値っていうのがそこには生まれてくる。そういう仕事っていうのはやりがいがありますよね」
修理をして長く大切に使う、その過程で物語が傘に宿っていく。その裏には、最初から傘屋の道ではなかった二人だからこそ、気が付くことがあるのかもしれない。
お気に入りの一本を持って、「仲屋商店」に行ってみませんか。
(2018/2/8 取材 清水朗)
▼仲屋商店