良い服に欠かせない「パターン」から見る、婦人服の変遷

こんにちは!
ファクトリエで商品の品質管理を担当している堀井です。

最近、孫が生まれて楽しい毎日を過ごしております。

さて、私はこれまでずっとアパレル産業に身を置いてきました。日本のものづくりはもちろん、中国工場での赴任経験を通して、海外生産の実情も見てきたつもりです。
そういった観点をはじめ、ものづくり自体について、これから「今日のアトリエ」でお話させていただければと思います。


良い服に欠かせないパターンの歴史をひも解く

良い服と言われるものには、いくつかの条件があります。
デザインが良い。生地が良い。縫製が良い。着た時にかっこよく見える。など様々ありますが、この「良い」の基準の中に、「パターンが良い」という言い方はほぼ出てきません。

「パターン」とは、「衣服の型、及び型紙」のことで設計図のようなものです。

しかし、一般的にはほぼ挙げられない「パターンの良し悪し」は、洋服づくりにおいてとても重要です。

パターンが良いとはどういうことか。

  ・洋服を見た時に立体的で格好が良い。
  ・袖を通した時に着やすい。
  ・洋服を着た時に自分の姿が美しく見える。

 など色々ありますが、全て良いパターンの条件です。

つまり先ほど上げた「良い服」というのは、「良いパターン」であるということに他なりません。

では、「パターンの良し悪しはどのようにして見分けることができるのか」という疑問を持つ方もいるかもしれませんが、まず「パターン」というもの自体に興味を持ってもらいたいと思っています。

そこで、今回は「パターン」にまつわるお話を“歴史”をたどりながら見ていきましょう。


オーダーメイドの洋服とパターン

オーダーの服は、まず「顧客様」と「仕立て屋さん」がどんな服を作るかを話し合います。そして、作る服のデザインや生地が決め、「顧客様」の採寸をして、体の特徴などを確認しパターンを作り、仮縫い用の服を作っていきます。
仮縫いをしてフィット感を確認していくわけですね。

この仮縫いを基に、最初のパターンを修正していきます。

修正したパターンで今度は、実際に洋服になる生地を裁断。
最終の仮縫いに向けて生地を用意します。

この最終のパターンと生地を基に最終の仮縫いを行うことになります。
オートクチュールと呼ばれるものは特に丁寧に行われます。

最終の仮縫いを終えて本縫い(本当に縫製する工程。完成品を作るイメージですね)を行い、だんだんと洋服になっていきます。


オートクチュールだからこそ、パターンの良し悪しなど存在しなかった時代

既製服が普及するまでは、多かれ少なかれこのようにして洋服は作られていたので、良いパターンも悪いパターンも存在しないも同然で、顧客様が気に入る洋服かそうでない洋服かというくらいのことしかなかったわけです。

日本でもおそらく戦争の前までは同じような洋服の作られ方をしていたと思います。
戦争の後、アメリカから既製服という概念と共に工場での大量生産という考え方までが入ってくるようになりました。
日本には、洋裁学校と言われる花嫁修業の一環としての家庭洋裁はあったものの、職業人を育てるための学校は存在していませんでした。

そこで、有名な洋裁学校に既製服を目指す人材が集まり、徐々に職業人を育てる教育が始まりました。
そしてたとえば、クリスチャン・ディオールが色々なラインを発表すると、モードが注目の的に。モードが注目されればされるほど、流行の服を着たいと思う人が増えていったのも事実です。


アメリカからやってきた既製服。
大量に効率的に作る

アメリカからの既製服が入ってきて大量に服を作るという考えが持ち込まれ、縫製工場は同じ物10枚、100枚、1000枚をいかに効率的に作るかを考えるようになっていきます。

このころのパターンは平面作図。これは、洋裁学校で教えていた知識をベースにした「経験」を重視するパターンです。
形を作ることが優先され、どんなシルエットにするかとか、着易さ、動きやすさ、などはまだまだ重視されてはいなかったようです。


立体裁断が日本に!
未経験の日本人は右往左往

平面上の紙の上だけで寸法に基づいて作る「平面裁断」をずっと行ってきた日本でしたが、その後、アメリカやパリから「立体裁断」という考え方が伝わってきます。これは、洋服をボデイーの上で「シーチィング」(糸が太い平織の綿織物のこと。服の芯地や仮縫い用に使用される)を使って、パターンを作りだすように変わってきました。

急に立体裁断といっても誰もやったことがないので、いきなり良い服ができるわけはありませんでした。
そこでアメリカの洋服世界で活躍していた日本人を呼んできて、裁断用のボデイーの製作と立体裁断の教育をしてもらい、技術の向上を図っていくようになります。


効率的に同じものを大量に作る時代のパターン

一方で、大量に早く作れるようにするために「いせたり」「伸ばしたり」をできるだけしないように、同じ寸法で縫われるようになっていきました。

またミシンも足踏みの物から、モーターで動く動力型の物に代わり、スピードアップしていくようになり、沢山の生産が可能になりました。

このように「効率的に同じものを大量に作る」という時代へと移り変わり、大量の物を作ることで市場では競争が起こります。
その結果、消費者はもっと良い物をもっと安く望むようになりなり、当然安く作るために海外で作ろうという動きが出てきます。

この動きのその後は・・・。

ご想像の通り、まさにいまの日本や世界で起きている状況につながるわけです。


日本の腕利き技術者を派遣することで
海外生産の品質低下リスクを回避

海外進出をした時に日本人は、品質が悪くなるのを恐れて多くの技術者を海外に派遣し縫製レベルの向上に努力しました。

このことで、中国をはじめとする東南アジアの縫製レベルは飛躍的向上を遂げました。

日本人の向上心とまじめさが、日本の洋服を飛躍的に発達させ、技術力は世界から注目されるようになったのです。

いま世界を相手にする中国の大きな工場で、欲しいパターンメーカーは日本人だと言います。
とはいえ、東南アジアの技術力は高まっているのは事実で、日本人はもう一度自分たちの良いところと悪いところを認識する必要があります。

日本の洋服にもっと創造性が加わればもっと厚い信頼が世界から寄せられることは間違いありません。


ファッションの変遷をその当時台頭したデザイナーで区切って見ていくのも面白いですが、こうやってパターンをベースに歴史をひも解いてみるのも面白いものですよね。

それでは。

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